諦めたくない思い 〜2度目の育休復帰②〜

◆復帰1ヶ月〜現在


6時間の勤務時間で、

ひたすらテレアポリストを作る→電話する。


そんな日々繰り返して、1ヶ月が経った頃、モチベーションは低下する一方で、気が付けば転職サイトを見るばかりだった。


アポも中々取れず、

チームのみんなが進捗会議をしている中、

私はそれさえ参加することなく、


朝からPCに向かいながら、

電話をかけていた。


唯一の救いは、元々営業畑にいたので、

電話をかける事に対しての抵抗はなく、

冷たくあしらわれても、対して悩むことはなかった。


一番イヤだったのは、

《なんで私が》と思いながら取組んでいたこと


そして、他のメンバーとの共有ポイントがなく、アポ取れたら、営業に振るくらいだった。


悔しい、悔しい。


出産してからは、元のようには働けないこと、

自由度が少なくなることは、

二度目だし、割り切ってはいたけど、


毎日本当に悔しくて、何とかチャンスはないかとアンテナを張っていた。


そんな時、社内の中で、新規事業を立案するというプロジェクトの知らせがあった。


対象者は全社員。


事業部の中で、新規事業orサービスを募り、

第3ステージをプレゼンにて突破した案については、事業化するという内容だ。


第1ステージは、案を出し書類選考。


悩み、悩んで挑戦することにした。


完全にやりがいを持てなくなった今、

だからこそ自分で動かなくては、

何も変わらないと思ったから。


以前の私は、あまり社内行事に積極的ではなく、手をあげることも、主張するタイプではなかった。


どこかで、自分は中途社員だからと悲観的になっていたこともあるのだろう。


でも、変わらなくちゃ。

居てもいなくてもどちらでも良い人になんてなりたくない。


働く意味を作り、諦めたくないんだ!!


休みの日にパソコンを開いたのは、

久しぶりだった。


案は直ぐに出てきて、

割と早くに仕上げらた。


第1ステージの結果、、


通過!!


素直に嬉しかった。


もし通らなかったら、更にモチベーションが低下していたと思うし、

目標を失うことになっていた。


上司に、エントリーをしていて、第2ステージに進むことを報告をした。


否定するわけでもなく、肯定するわけでもなく、興味のない返事をされた。


別に構わないと思った。


表面上でしか見ていない、信頼関係が構築されていないから、期待はしない。


それから、具体的なストーリーを組み立てる為に、リサーチして先ずは手書きで資料を作る。


途中、ブレ始めたり、やり直したり、

わけがわからなくなりながら、準備期間の1ヶ月ギリギリに作成が終わった。


思えば、パワポを使うのも久しぶりだった。


元々、私は企画がしたくて、

前職では広告代理店に勤めていたので、


時間を捻出するのは、本当に大変で、

夫には物凄く協力してもらったけど、


素直に楽しく取り組めた。


テレアポに対しては全く気持ちが入らなかった分、精神的な救いだった。


〜そしてプレゼン当日〜


自分の上司を飛び越えて、さらに上の上司にプレゼンをする機会なんて、この先ないかもしれないと思ったら、緊張は吹っ飛び、

できる事精一杯頑張ろうと思えた。


相手は4人。

全て部長だ。


15分間のプレゼンの後、

質疑応答では、収益計画の詰めの甘さや、

競合のリサーチ不足、強みが見えないといった指摘や質問が多かった。


それに関しては、確かにそうだと思えたし、

事業化させるという事は、それだけの重みがあるんだと実感した。

プレゼンを終えて、反省しつつも、

概ね満足はしていて、充実感もあった。


そうか、自分のしたい事をカタチにすることは、それだけでこんなにも充実感を得られるんだと思った。


この充実感が欲しいから、

私は辛くても、逃げたくなっても仕事を続ける選択をしてきたんだ。


今2人の子供がいる環境で、

悩むことも、子供たちへの罪悪感も0ではないが、いつかお母さんの頑張っている背中を見て欲しいと願っていたんだ。


プレゼンをしたのが、6月の下旬。

結果が昨日の夜に出た。

不合格!


ただ、次点合格となり、

第3ステージには進めることになった。


正式な通過者ではないので、

悔しさはあるが、


敗者復活から優勝することだってあるわけだし、最後まで諦めない。


これから始まる、私にとって大きな挑戦は、

自分の意思だけでは、時間のコントロールができないので、やり切れるか?

不安はあるが、先ずは頑張ってみよう。


いつか、何かのカタチで報われるように。

諦めたくない思い 〜2度目の育休復帰①〜

◆復帰〜1ヶ月のこと


2017年4月

第二子は4月でちょうど一歳。


保育園の0歳児クラスに無事入園。

2度目の育休から約1年ぶりに復帰をした。


久しぶりに出勤する日は、

なんだかちょっぴり照れ臭いような、

不思議な気持ちだった。


産休に入ってから、子供たちとはほぼ離れることなく過ごしていたので、


満員電車だったり、駅の階段が人多すぎて、

登れない感じだったりがとても懐かしかった。


復帰する部署は、休んでいた1年で大幅な人員変更やチーム編成があったものの、

メンバーは半数以上がそのままで、

私としては有難かった。


ただ、『何をするのか』は聞いていなかった。


上司に呼ばれ、(直の上司は変わった)告げられた仕事内容は、


『新規開拓のアポインターを頼む』


ん??

アポインター?

へっ?


新卒の登竜門である、あのアレ??


私、一応、社会人になって13年目なんだけど。


私『えーっと。新規開拓ということは、アポ取れたら受注までということですか?』


『いやいや、アポインターだから、アポだけ取って、他に振って』


私『わかりました。ただ、訪問も行きたいですし、今まで対面で仕事をしてきたので、ゆくゆくは訪問とか、対面で仕事していきたいです』


想定していなかったので、衝撃だったこともあって、たぶんこんな事を言った。


『うん。気持ちはわかるけど、子供が熱出して休んだら、どうするの?リスクがあるよね?アポインターなら、休んでもその日にテレアポができないだけで、他には迷惑かかんないでしょ。俺は1番いい方法で、チームの体制として配置したけど』


あ、怒らせた?

でも、私も怒った。


前回、復帰をした時は、確かに休んだ時に迷惑行為はかけた。

休むリスクも人より高かったよ。


だけど、しっかり結果を出したのに。

泣けるなー。


この会話はわずか10分ほどで、終わり、

目の前にある選択肢は、やるしかなった。


周りの同僚からの、え?テレアポ?なんで?

の同情に目を向けず、


ただただ、逃げたくない、負けたくない思いから、アポインターを受け入れた。


正直、とても嫌だった。

電話をかける行為は、さほど問題はないが、

デスクに座り、ほぼ会話にならない電話をかける。

架電が目標になることが苦痛だった。


6時間の勤務なのに、毎日が長く感じだ。

往復3時間かけて通勤する意味が見えなくなった。


あぁ、辞めてしまおうかと考える日もあった。

家に帰ってからも、ため息ばかりの日々が続いた。


そんな時に、上の子がふと、


『ママ毎日お仕事頑張っているね。ママってライオンさんみたいに、強くてかっこいいんだよね?偉いね。だから、僕も保育園頑張るね!』


と頭を撫でてくれた。



あ!そうか。


そうだよね。今までだって、ギリギリの所でチリチリになりながら働いていたんだ。


私の原動力は、

『諦めたくない』ただそれだけ。


わずか3歳の子が、私にもう一度、頑張る気持ちをくれた。


そう、私は仕事も子育ても、

どちらも続けたくて、諦めないを選択したんだ。


そう思い出し、

先ずは目の前の仕事をやり抜くこと、チャンスがあると信じることにした。


女性活躍とか、産休率100%とか、

色々な声があるけど、結局大事なのは、

子育てしながら働く環境が良いこととか、制度じゃなくて、


一人一人の想いなんじゃないか、

自身をコントロールする力なんじゃないかと感じた。


そう。

私の挑戦はまだ始まったばかり。

産後の思い出 〜1人目の時〜

30歳の時に第一子を出産した。


体重は+18まで増えてしまい、

ムクミが止まらなくて、産後も手足がぞうさんみたいだった、、。


私が出産に選んだ産院は、


•とにかく食事が豪華

•個室&ラグジュアリー

•エステ付き


そう。コレで選びました。


だって、だって。

美味しい物食べたいもん。


1人でゆっくり眠りたいもん。


エステとか、中々行けないから行きたいもん。


そんな不純な動機で選びましたが、

長びく陣痛に、パニックになった私を

時に叱り、時に支えて頂いた助産師さん、

本当に感謝です。


28時間かかった出産を終え、

疲労と切った(裂けた?)ところが痛すぎて、

豪華ディナーはほぼ手を付けられなくて、

夫が完食していた。


むしろ、当たり前の様に、

夜ご飯を食べる感覚でいた様子 笑


初めて抱いた我が子は、

ふにゃふにゃで思っていたより、軽くて、

出産直後はあまり感動しなかったのに、


(終わったー!

これで痛みから解放されたーという思いが強くて、、。)


翌日に部屋で抱っこした時に、

不安と嬉しさと、柔らかい感触に、


あぁ、私この子のお母さんなんだ。

ずっと守っていくんだと、


強く思い、涙が出た。


そして、この日のことを一生忘れないと思った。


退院してからは、里帰りはしないで、

車で2時間ほど離れている実家の母が、1週間手伝いに来てくれた。


産後の回復は早く、

でも念のため産後1ヶ月までは、宅配サービスとセブンミールの宅配弁当をたのんで、

最低限の家事しかしなかった。


夜は寝ているのか、寝ていないのか

よくわからない感じが続いていた。


だから昼間は赤ちゃんのサイクルに合わせて、

常に寝ていた 笑


今思えば、

幸せであたたかい、

ふわふわした感覚だったな。


産後はとにかく眠かったけど、

体重もストンと落ち、身体は軽かった。


二人目の時は割と大変だった、、。